『紅き唇の境界線:二十歳の夜に、海を渡る風が囁いた「人間(ひと)ならざる者」への覚醒と、ダークグリーンの瞳に映る偽りのない世界の終焉(おわり)について。』

豪華客船のデッキに立つSAYAは、二十歳(はたち)を迎えたばかりの「新成人アイドル」として、今まさに絶頂期にいた。真っ赤なタイトドレスは、彼女の完璧な曲線を際立たせ、冷たい潮風に吹かれても、その肌は磁器のように滑らかで血色が良い。
しかし、彼女の瞳には、ファンも、マネージャーも、そしてカメラマンさえも気づいていない「秘密」が宿っていた。
その瞳は、深淵を思わせるダークグリーン。ライトを浴びれば煌びやかに輝くが、ひとたび闇に溶ければ、それはこの世の理(ことわり)から外れた色を放つ。彼女は知っていた。自分が二十歳になるこの瞬間、血脈に流れる「非日常」が完成することを。
「おめでとう、SAYA。今日から大人の仲間入りだね」
マネージャーの明るい声が、背後で響く。SAYAは微笑を浮かべた。その唇は毒を含んだ果実のように赤く、艶めかしい。しかし、彼女の耳に届くのは、マネージャーの言葉ではなく、海の下から響く「歌」だった。陸(おか)の人間には聞こえない、深海からの呼び声。
アイドルとしての成功、熱狂的な歓声、眩しいスポットライト。それらはすべて、この日のための「擬態」だったのかもしれない。成人を迎えた瞬間、彼女の視界は一変した。遠くに見える都会の夜景が、まるで燃えカスの灰のように色褪せて見える。代わりに、真っ暗な海が、命の輝きに満ちた万華鏡のように色彩を帯び始めた。
SAYAは手すりに指をかけた。その指先は、人間離れした鋭さを一瞬だけ帯びて、木製のレールを深く刻む。
「……さよなら、私の短い夢」
彼女は小さく呟いた。その声は、潮騒にかき消されるほど微かだったが、確かな重みを持っていた。ダークグリーンの瞳が、闇の向こう側に潜む「真実の姿」を捉える。彼女はアイドルでも、ただの二十歳の女性でもなかった。数千年の時を生きる一族が、この現代(いま)という時代に放った、美しい「楔(くさび)」だったのだ。
| 鬼岩正和(作家、実用書著者、AIアートクリエイター、エッセイスト、そしてパノラマ写真家、WEBシステムエンジニア) |
振り向いた彼女の顔には、もう迷いはなかった。妖艶な笑みを浮かべたまま、彼女はカメラに向かって最高のポーズを決める。シャッターが切られるその瞬間、彼女の瞳の奥で、ダークグリーンの光が爆発するように明滅した。
明日、世界はこの写真を見て「奇跡の一枚」と称賛するだろう。だが、その写真の中に、かつての少女SAYAはもういない。そこにいるのは、人間を魅了し、惑わし、そして永遠に手に入らない場所へと去っていく、美しき深海の支配者なのだから。































